この祭りを見てみたいと思ったきっかけは 当人児と大きな御幣の写った写真 と 道角でトーニントーニンワッハハイと唱える との記述にとても興味を惹かれたから。
民俗学的な成り立ちを考えるなら 宮座 当家 元服 がキーワードになるのかな。
10才の男の子が地区にいないと祭りが行われないことから元服し宮座入りの奉告を行うことがこの祭りの重要な点だろう。
お仮屋が設けられた当家から神社へのお渡りの行列の順は
神官
氏子総代
当人児
紙幣カツゲ
六人衆
御供カツゲ
であり
・総代は祭の前に磐座となる河原で拾った3つの小石を三宝に載せ運ぶ
・六人衆は八坂八坂神社の六神のお世話をする役割
だと六人衆の方に教えて頂いた。
道角でトーニントーニンワッハハイと唱える訳は聞き忘れてしまった。
写真を主とする私としてはやはり当人児と紙幣カツゲの2ショットが主役であった。
撮影許可の腕章をされた方が意外と多く邪魔にならないように撮影に臨んだ。
その中の一人の方と話をしていたら10才の時、自分も当人児をしたがもう忘れてしまったと
おっしゃっていた。
2011年に野本さんが撮影された画像と比較して
今年は
・氏子総代の方が口に榊の葉を加えていなかった
・御供カツゲの男女の配置が左右逆だった
ことがちょっと気になった。
古来の地域共同体の名残を現代に色濃く残す貴重な祭りであった。
ブログトップ